世の中には、他人の時間を平気な面して、無意識に奪っていく最低な人間がいます。自覚なく、無意識に。そんな奴とは関わらないべし。
僕の身近にいる時間を奪う輩は、こんなの↓
鬱陶しくどうでもいい質問をしてきたりとかします。「今日何があった?」「今何やってるの?」「これは何?」とか。どうでもよすぎる。
こっちは大事な作業ををずっと続けているんのに。それで、イライラしながら対応。「聞くな!どうでもいい!」と思いながら。そして別室に避難しようとする・・・。
すると、態度が威圧的になりだす。怒り出す。指摘すると、「怒ってないじゃん!どこが怒ってるって言うんだ!」と、怒鳴りつける。いや、明らかに怒ってる。なんでキレてんだ。意味不明。それでいて自覚がないのかよ。どうにも、「自分を客観視する」ということができないよう。
そして話すと、「たった数分ぐらいいいじゃん」とか「どこがそんなに悪いんだ」とか「ちょっとくらい時間使ってくれたっていいじゃん。待ってくれてもいいじゃん。」とか言ってくる。
時間を奪っていることの自覚はなく、しかも悪いこととも思っていない。
時間は何よりも大事なもの
時間は何よりも大事です。
「時は金なり」なんて言葉がありますね。時間はお金ほど大事、なんて意味です。が、それは間違いでしょう。「時間はお金なんかとは比べ物にならないほど大事」です。
時間には限りがあるのは言うまでもないでしょう。お金だったら、いろんな手段で得ることができますが、時間は自ら作ることはできません。奪った時間を返すことも不可能。
個人それぞれが、人生の最期(=死)までの時間しかない。しかも、それがどのくらいあるか知ることはできない。当たり前なことですが、そんな人生の最期までの使い方を決められるのは、本人だけです。
それだけ時間は、非常に大事なものなのです。
「時間を奪う」=「人生の使い方を奪う」
時間を奪うということは、人生の使い方を奪う、ということ。この時点で人間のクズです。
それでしかも無意識・無自覚だったら。おそらく他人に時間を奪われて当たり前な人生を送っていて、それで「時間を奪う」ことに鈍感になっているのかもね(適当)。
どっちにしろ人間のクズです。
時間を奪うような人間とは関わらないべし
そういう時間を奪うような人間とは関わらないべしです。
はっきり言ったところで無意味
相手にはっきりと言う、という手もあります。が、おそらく謎にブチギレられたりとか、「たった数分ぐらいいいじゃん」「どこがそんなに悪いんだ」「ちょっとくらい時間使ってくれたっていいじゃん。待ってくれてもいいじゃん。」といったふうに”威圧的”に言われ、消耗するだけです。
結局、話してもわからないのです。そういう人間だから。「馬の耳に念仏
」というわけです。
馬の耳に念仏
【読み】 うまのみみにねんぶつ
【意味】 馬の耳に念仏とは、人の意見や忠告に耳を貸そうとせず、少しも効果がないことのたとえ。引用元:馬の耳に念仏 – 故事ことわざ辞典(※:2020年3月28日閲覧)
何を言っても理解できないような人間に何を言ったって無駄です。
時間を奪う人間がいない空間に逃げよう
時間を奪う人間が近くにいる時点で、時間が奪われることは約束されたようなものです。別の部屋(空間)に、あらかじめ逃げておきましょう。自分の時間・・・、人生を守るために。